8月11日、金沢市内の病院で呼吸器不全のため逝去。90歳。1935年イタリア・ロンバルディア州生まれ。若くして同会に入会し、51年初誓願。59年司祭叙階。60年に来日し、65年間の日本での宣教を全うした。金沢教会(石川)主任、同会総長代理(管区長)、上野毛修道院(東京)院長、神学生養成担当者など、修道会の要職を歴任。多くの信徒、同会修道士、修道女、在世会員たちから信頼され、父親のように慕われてきた。責任感が強く、厳しさと御父のような寛大さが両立した優しい人柄であった。司祭室にはいつもレンブラントの「放蕩(ほうとう)息子の帰還」の絵を飾り、訪れる人々を温かく迎えていた。山や自然が大好きで、毎年夏になると北アルプスや八ヶ岳などに登っていた。今年の4月17日(聖木曜日)に硬膜下血種と脳出血を併発して倒れ、入院していたが、イタリアから来ためいの見舞いを受けた直後の8月11日、いつくしみ深い神の迎えを受けた。
