教皇レオ14世は10月19日にバチカンで列聖式ミサを行い、7人を列聖した。このうち2人は、南米ベネズエラ出身としては初めての聖人だ。
一人は、「貧しい人々のための医者」として国民に広く知られるホセ・グレゴリオ・エルナンデス・シスネロス(1864~1919年)。もう一人は、同国で修道会「イエスのしもべたち」を創立したマリア・カルメン・レンディレス・マルティネス修道女(1903~77年)だった。
日本でも2人の列聖に感謝の祈りをささげようと、「全世界の平和を祈るロザリオのグループ」主催による列聖感謝ミサが11月12日、東京・新宿区の聖パウロ修道会若葉修道院で行われた。
ベネズエラ出身の駐日教皇庁大使フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教がスペイン語でミサを主司式し、日本語への通訳は共同司式をした南米出身の司祭らが務めた。ベネズエラ、コロンビア、グアテマラ、ペルーの大使館関係者を含めて約100人が参加した。
世界の平和のために
エスカランテ・モリーナ大司教はミサの冒頭、聖エルナンデスの聖像と、聖カルメン修道女の聖像画の除幕式を行い、ミサの説教などを通じて2人の聖人について紹介した。/

(右から2人目)。ベネズエラの国旗を掛けた台の上には、
聖エルナンデスの像と聖カルメン修道女の聖像画が置かれた
聖エルナンデスは、「貧しい人々に尽くした信徒の模範」とされている。医師であり、同国の医学の礎を築いた科学者でもあることから、エスカランテ・モリーナ大司教は「彼は、信仰と科学が(矛盾せずに)一つになり得る」ことを示したのではないかと語った。聖エルナンデスは深い信仰をもち、貧しい人々を無償で診療した「貧しい人々のための医者」として広く知られ、2021年に列福された。
「イエスのしもべたち」修道会を創立した聖カルメン修道女は、聖体への深い信心、絶え間のない祈り、そして教育活動を通じてキリスト教精神を広めた。カルメン修道女は左腕のない状態で生まれ、身体的な困難を抱えていたが、人々への奉仕のうちに自らの召命を愛し、尊び、聖性を追求し続けた。

肖像画の前にろうそくをささげる参加者
ミサの終わりに、石川成幸(せいこう)ベネズエラ大使があいさつに立った。
日系2世でカトリック信徒の石川大使は、世界平和のために祈るグループの働きかけでこのミサが日本で実現し、多くの人と喜びを分かち合うことができることへの感謝を述べた。また、聖エルナンデスと聖カルメン修道女の取り次ぎによって、いま軍事的な脅威の下にある国に「主の平和と主権が実現しますように」と祈った。
参加者の一人、カトリックの宣教修道会イデンテ会の会員で、医師の土田マリサさん(53)は、患者の肉体だけではなく精神が癒やされる必要を感じ、医師である自身の無力さも痛感してきたという。この日、同じく医師だった聖エルナンデスの取り次ぎを願う中で心に喜びが湧き、自身も「聖性への道」を歩みたいという願いを新たにしたと話した。
神様のいつくしみに感謝して
ミサ後、地下ホールで交流会が催された。会場の一角では、これまで聖エルナンデスに取り次ぎを祈ってきた人たちが、それぞれに受けた恵みの体験を分かち合った。
ミサを主催したロザリオのグループ代表の島田ロスベリさん(神奈川・大和教会)はコロンビア出身だが、幼い頃から聖エルナンデスの取り次ぎを祈り、大きな恵みを受けてきたと次のように話した。
ロスベリさんはコロンビアにいた4歳の頃、銀行で強盗に襲われ瀕(ひん)死の重傷を負った。
「銃弾が私の体を(腰からお腹へと)貫通し、お腹は傷だらけで、寝たきりになりました。医師から回復は見込めないと言われましたが、親の勧めで聖エルナンデスに取り次ぎを願って祈り、回復しました」
8年前には胃の病気で胃を全摘し、食道と大腸をつなぐ手術を経験する。医師から「死に至る可能性は80%」と宣告されたが、ロスベリさんはその時も聖エルナンデスの取り次ぎを願って祈り、仲間の多くの祈りに支えられて回復した。そして自身が続けるロザリオの祈りのグループには、さまざまな国籍の人が集うようになったと、こう話した。
「私の体は今も強くはありませんが、この私を通して示された神様の偉大さ、いつくしみ深さに感謝してもしきれません。今日のミサは信者でない方にも協力していただいて実現し、こんなに多くの方に来ていただきました。私の力の源であり、私の全てである神様への感謝の喜びを、聖エルナンデスと聖カルメン(修道女)を通して、そして聖霊様のうちに、皆さんと分かち合うことができて本当に幸せです」

恵みの体験を分かち合う島田ロスベリさん(写真左手前)ら参加者たち。
会場内の柱(写真右)に貼られているのは、聖エルナンデスの肖像画
